この前、桃太郎電鉄に乗って、
車内の広告を見ていたら、
富士山と湖をバックに幸せそうな家族の写真がありました。

ここは河口湖かな?キャンプしているみたいです。
桃太郎電鉄に乗って、キャンプに行こう!
って言う事だと思います。。
すっごく幸せそうなご家族ですが、、
へそ曲がりで、ひねくれていて、思慮深い?僕は
こういった、幸せそうな家族って言うのを、疑ってしまうのです。
何だか、通り一遍な幸せ、みたいな感じ。
つまり、うわべだけの幸せだと、僕は見抜くのです。
怪人二十面相
「 フフフフフ、さすがは明智君 よく見ぬいたな 」
明智小五郎
「 それくらいのトリックで騙される私ではない ハッハッハ 」
何でここで、明智小五郎が出てくるのか分かりませんけど。
えーっと、、この光景は、幸せ感が半端なくて、
それが、すごく不自然だと思うのです。
家族なんだからもっと日常感が出てないとおかしいと。
子供は、お姉ちゃんと、まだ小さい男の子かな、
お姉ちゃんに意地悪されて、泣かされて、それをお母さんが
お母さん
「 何やってのよ!もっとやさしくしなさい!お姉さんなんだから! 」
とお姉ちゃんを叱ってたら、
お父さんが、
お父さん
「 おいおい、そんなに叱ったらダメだろ せっかくのキャンプなんだから 」
お母さん
「 何言ってんのよ、あんたはいつも家にいないからそんなこと言うけど
毎日喧嘩ばかりして大変なんだから
たまには早く家に帰ってきて子供の相手をしてよ!!! 」
まあ、日々の暮らしってこんなもので
我々は、文句を言いながら暮らしているのです。
でもそれが幸せって言うものなんだと思います。
こういうひねくれた考え方は
中学の時に読んだ、梶井基次郎の小説の影響だと思います。
梶井基次郎の短編「 桜の木の下には 」の書き出しを読むと
以下抜粋・・・
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。
何故なぜって、
桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。
・・・・
桜があんなに綺麗に咲くわけがない、
きっと、見えない根の下に
腐敗して、ドロドロに溶けた死体があるに違いない。。
と、、梶井基次郎も思ったのです。
あんまり美しいものは信じがたい、
きっと裏に何かあるんだ、、。
美しさや、幸せはもっと、肩の力を落としたところにあって、
そんなに、ギンギンに、力入れまくりみたいな
たいそうなものじゃないと、、。
なーんだ、幸せの青い鳥は近所にいる、あの小汚い鳥だったんだ。
と、今日のブログはいつもと違って何だか教訓っぽい、
いいお話になってしまっていますが、
皆様、こういう、いいお話とかは、決して信じてはいけません。