浅田真央選手
よく頑張ったね。昨日の失敗からよく立ちなおりました。
フリーで3位、その内容が良かったです。トリプルアクセルを含む
ジャンプはすべて決まったし、胸を張りましょう。
オリンピックの報道でよく期待の重圧に負けた、という表現がありますけど、
「期待の重圧」って何でしょうか?
応援しているから、がっかりさせないで頂戴、その空気の重さ。みたいな感じですかね。
「何だよ、せっかく応援してたのに、ガッカリさせやがって、
このオレの落ち込んだ気持ちどうしてくれるんだよ。」
うーむ、こうなってくると応援している人のワガママですな。
まあ、そう言う人もいると思うけど、期待ってもっと暖かいものでしょう。
中学生の時に読んだ本で「長距離ランナーの孤独」と言うのがありました。
少年院に入っている主人公は長距離が早く、選手に選ばれて対外試合に出る事になる。
少年院の院長は偽善者で、主人公が優勝することで自分が評価されたいと思っている。
主人公は試合当日トップで競技場に入ってくるけど、それからわざとゆっくり走って
後続のランナーに追い抜かれる。
と言う話です。期待されているのにわざとゆっくり走る。と言う事に衝撃を受けた記憶があります。
期待されている選手、と言う言葉に触れるといつもこの本を思い出します。
競技している選手は、人の為ではなく、自分の為にやっているのだと思うのですが、
その自分のためってどういう事かと言うと、メダルを取った事によって人が喜んでくれる、
その状態を自分が嬉しく感じる、と言うことだと思います。
昔、小学校の運動会で100メートル徒競走 (100メートル走とは言わないで
“徒競走”って言うんだね。要はかけっこです)
で、一着になると、両親が喜ぶし、褒められるし、かつクラスの可愛い幸子ちゃんにアピール出来るし、
だから嬉しい。
と言った感覚ですよね。オリンピックでもお同じだと思います。
まあ、オリンピックと運動会のかけっこと比較するのも何ですが、要はそういうことでしょう。
運動会のお母さんも同じで、自分の子供が勝てば自分も誇らしいし子供と一緒に喜びあえるから楽しいのです。オリンピックを応援しているみんなも、このお母さんと似たような感じになるのでしょう。
自分の国の選手が勝てば、誇らしい、うれしい、皆と気持ちを共有できる、だから僕は今の瞬間は一人じゃないんだ。そんな気持ち。
逆に、金メダルを取っても、誰も祝福してくれなかったらつまらないですよね。
(選手)「あのー、金メダルとったんですけど」
(国民A)「なにそれ、馬鹿じゃないの」
(国民B)「それがドーシタ」
(国民C)「うるさいな、今忙しいからあっち行ってくれ」
こんなのは嫌だよね。金メダルには、人から祝福されたり、有名になったり、
優しい言葉をかけてくれたり、褒められたり、人気者になったり、と言った、
自分を癒してくれる色んなものが付帯しているから価値があるし、取りたいし
取ったら嬉しいのです。
「長距離ランナーの孤独」の主人公は、優勝しても偽善者の所長しか喜ばない事を
知っているので、優勝する意味がないし孤独なのです。
もし、彼を祝福して喜んでくれる人達がいたら、きっと孤独じゃなかったと思うし、
わざとゆっくり走ったりはしなかったと思います。
選手は喜んでくれる人がいるから、勝ちたい、優勝したいのです。
重圧の正体ってそんなところかなと思います。
ラベル:浅田真央