2014年03月25日

言葉の霊力

नमस्ते 
昨日は、サンスクリット語の勉強会に行ってきました。
もう一年近く勉強しているのですが、
難しくて気絶しそうです。

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しかし、インド哲学を研究しているのでサンスクリット語は
避けて通れません。


インド哲学と言っても、僕の主たる研究対象はは釈迦です。
でもそれは歴史上の実在の人物で血の通う
生身の人間としての釈迦で、
偶像崇拝の対象になってしまった釈迦ではありません。

不世出の天才的な思想家、哲学者、としての釈迦の真意を
知りたいのです。
また、こんな事を言うとお坊さんに怒られそうですけど。
手掛かりは、原始仏典です。
でも、それはサンスクリット語ではなく、
パーリー語で書かれているのです。
なので、パーリー語も勉強しなくてはいけません。
気が遠くなりそうです。


サンスクリット語の素晴らしい所は、
その言葉の響きです。
もともと古代インドの礼拝用の言葉なので、
とても美しく、言葉そのものに霊力がこもっているような
神秘的な言葉です。

言葉に霊力があると言えば、
日本でも古来から言霊という事が信じられています。
声に出して言った言葉が現実の世界に影響を与える。

いまもそうですよね。
信じているかどうかは別として気にしますよね。
受験を控えた学生に、すべるとか落ちるとかの言葉を
避けますよね。
受験生にキットカットを配っている、学習塾もありました。
「きっと勝つぞ」の言霊に託すのでしょうか。
でも「きっとカット」されちゃうんじゃないのかな。

スポーツの大会でも選手は試合の前にかつ丼「勝つ丼」
を食べたりしますけど、胃にもたれて良くないんじゃないかなと
思うのであります。

昔は、賭け事などで縁起が悪いと言って、
“すり鉢”を当たり鉢、“するめ”を“当たりめ”
髭を“当たる”なんかも今でもいいますね。


でも実際のところ、言葉のおよぼす影響は大きいのです。
それは、人間が言葉で考えるからです。
言葉で考えるから逆に言葉に思考を支配されるのです。

だから釈迦は言葉で考えてはいけないと言っています。
言葉に支配されない、本来の思考、智慧が大切であると。

その為に、言葉を排除した瞑想を行って、心理を追求したのです。

まあ、われわれ凡人はそこまで出来ないので、少なくとも
人から言われた言葉に、支配されないようにしましょう。

ところで、冒頭の नमस्ते は 「ナマステー」
サンスクリット語の挨拶の言葉です。
「こんにちは」と「サヨナラ」両方使えます。

では、ナマステー。
posted by 小太郎 at 01:32| Comment(0) | 言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月15日

ホワイトデー

昨日はホワイトデーでしたね。
僕もバレンタインデーに家内からチョコを貰ったので、
チョコレートのお返しをしました。
これを「必殺義理チョコ返し」と言います。

しかしこれ、日本独自の風習です。
バレンタインデーにチョコレートを贈るというアイデアで儲けた
チョコレートメーカーを見ていて、
「オレ達もやろうぜ」とお菓子組合の人達が作ったらしいです。

しかしホワイトデーって名前がダサいね。
もう少しマシな名前なかったのかな。

バレンタインデーも昔は好きな人に女性から告白できる日
という触れ込みだったのですが、今や義理チョコ、友チョコ
逆チョコとなんでもありの状態になっています。
セント・バレンタインも腰を抜かす事でしょう。

まあ、しかしチョコレート好きの僕としてはありがたい話です。
出来れば、クリスマスの翌日にクリスマスケーキの
売れ残ったやつを安売りするように、バレンタインデーと
ホワイトデーの翌日には売れ残ったチョコレートの安売りを
してほしいと思うのであります。

バレンタインデーはレヴィ・ストロースの「贈与の一撃」です。
チョコレートを貰うと、貰った側に利益が落ちるのではなく
「貰った」という負債が生じるのです。

しかしその負債を解消する為に、ホワイトデーはとても良い制度です。
ホワイトデーがある事によって1ヵ月後の応答日期日返済と言う
負債になるのです。

それによって、期日にチョコレートやその他のものを返済する事が出来ます。

しかし期日に返済するのですが、当然金利が発生します。
ですので、ホワイトデーに返済する時は、
バレンタインデーに貰ったチョコレートや他の物品より
値段の高い物を返さなければいけない事になります。

いやはや、大変です。

バレンタインデーや、ホワイトデーのように
人は言葉を使わずに、行為や表情で意思を相手に伝える事が出来ます。
もちろん言葉より詳細ではありませんが,
言葉以上にハッキリと明確に伝達が出来るかもしれません。

言葉は人間が発明したものなので不完全です。
従って言葉による誤解がよくあります。
人間関係のトラブルの多くはそうかもしれません。

誤解、説明不足、受け取り方の相違、などで
自分の思っている事が相手に伝わらなかったり
間違って伝わったりします。

もうそうなったら、なかなか言葉では関係悪化の
修復は難しいでしょう。

その場合は、言語を発明する以前の人間どうしの
意思伝達手段が有効です。
つまり態度や、表情などです。

それ以前に普段から言葉だけはなく
言葉の抑揚や、表情、態度もつかって
相手に意思を伝えるようにした方がいいでしょう。

と、ここまで書いてきたら急にチョコレートが
食べたくなったので、コンビニに行って
明治の板チョコを買ってこよーっと。

ではまた。
posted by 小太郎 at 10:28| Comment(0) | 言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月10日

ソチ冬季パラリンピック


・・・パラリンピックを見ていて、「分別」ということを
考えたので、その事を書きます・・・

狩野選手おめでとうございます。
これで、滑降、スーパー大回転それぞれ金メダルです。
これすごいです。

滑降と、スーパー大回転はスピード系の競技で、
高速でのスキーのコントロール、スピード感覚が大切ですが、
それを支えるのが、強靭な筋力と恐怖に負けない気持です。

しかも、座位のスキーでは、高速の場合健常者が滑る以上に
恐怖を感じると思います。
両足を使えないで山から高速で滑り降りる事自体、
有史以来二本脚で生きて来た人間にとって恐怖そのものです。

座位スキーはスキー板が一本になります。
板が一本と言う事は、雪面の状況への対応が難しいことや
カーブの時遠心力が一本のスキーにかかってしまうので
スキーのエッジの雪面への食い込みが鋭くなって
ターンスピードが通常のスキーより早くなると思います。
しかも今回のコースはかなり荒れていたと聞いています。

これを克服しての金メダルです、尋常ではありません、
凄いです。

所で、毎回パラリンピックは、オリンピックが終わってから
同じ会場で開催されるのですが、なぜ、オリンピックと
一緒にやらないのでしょうか。

健常者と一緒に競技すると言う意味では無く、
種目を調整するということです。
たとえば、スキーアルペンだったら、滑降、大回転、回転
座位滑降、座位大回転、座位回転の6種目。

種目が多くなりすぎるかもしれませんが、近年のオリンピックは
種目が増えすぎていると感じているので、オリンピックの
種目を昔のレベルまでへらして、パラリンピックの種目を
入れればいいと思うのです。

パラリンピックの選手のレベルが最近は凄く高くなってきて、
用具の進歩も著しいので、記録自体は健常者のオリンピックを
上回る事もあると思います。

開催する都市もオリンピックの後パラリンピックが続くと
経済的な負担も大変だと思います。

そもそも、オリンピックとパラリンピックを分けて考えるのが
間違っています。
人間は言語を獲得したため、言葉で物を考えることになり
その結果、物事を分けて考えるようになったのです。
「私」と「あなた」、「貧乏」と「お金持ち」、「不幸」と「幸せ」、
「生」と「死」。

分けて考えるので、本当の事が見えなくなってしまった。
2500年前に北インドでゴータマ・シダッルタは菩提樹の下で
その仕組みを見破ったのです。
「私」でもなく「あなた」でもない、「貧乏」でもなく「お金持ち」でもない、
「不幸」でもなく「幸せ」でもない、「死ぬ」のでもなく「生きる」のでもない。

「健常者」もなく「障害者」もないのです。

パラリンピックと言う名称も無く、だたの「オリンピック」でいいでしょう。
東京オリンピックから、そうすればいいと思っています。
きっと、すごく盛り上がります。
そうすれば、義足などが凄く発達すると思いますし、そうなれば
義足や車いすの性能があがり、ハンディがある人も
もっと快適な生活が出来るようになると思います。

今でも競技用の義足がすごく早いと聞いています。
もっと進化すれば100メートル8秒台とか出たりしそうです。

「うわ―すげー、8秒5だよ、」てな感じで、ビールも
美味しく飲めるというものです。

posted by 小太郎 at 10:56| Comment(0) | 言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする