昨日は、サンスクリット語の勉強会に行ってきました。
もう一年近く勉強しているのですが、
難しくて気絶しそうです。

しかし、インド哲学を研究しているのでサンスクリット語は
避けて通れません。
インド哲学と言っても、僕の主たる研究対象はは釈迦です。
でもそれは歴史上の実在の人物で血の通う
生身の人間としての釈迦で、
偶像崇拝の対象になってしまった釈迦ではありません。
不世出の天才的な思想家、哲学者、としての釈迦の真意を
知りたいのです。
また、こんな事を言うとお坊さんに怒られそうですけど。
手掛かりは、原始仏典です。
でも、それはサンスクリット語ではなく、
パーリー語で書かれているのです。
なので、パーリー語も勉強しなくてはいけません。
気が遠くなりそうです。
サンスクリット語の素晴らしい所は、
その言葉の響きです。
もともと古代インドの礼拝用の言葉なので、
とても美しく、言葉そのものに霊力がこもっているような
神秘的な言葉です。
言葉に霊力があると言えば、
日本でも古来から言霊という事が信じられています。
声に出して言った言葉が現実の世界に影響を与える。
いまもそうですよね。
信じているかどうかは別として気にしますよね。
受験を控えた学生に、すべるとか落ちるとかの言葉を
避けますよね。
受験生にキットカットを配っている、学習塾もありました。
「きっと勝つぞ」の言霊に託すのでしょうか。
でも「きっとカット」されちゃうんじゃないのかな。
スポーツの大会でも選手は試合の前にかつ丼「勝つ丼」
を食べたりしますけど、胃にもたれて良くないんじゃないかなと
思うのであります。
昔は、賭け事などで縁起が悪いと言って、
“すり鉢”を当たり鉢、“するめ”を“当たりめ”
髭を“当たる”なんかも今でもいいますね。
でも実際のところ、言葉のおよぼす影響は大きいのです。
それは、人間が言葉で考えるからです。
言葉で考えるから逆に言葉に思考を支配されるのです。
だから釈迦は言葉で考えてはいけないと言っています。
言葉に支配されない、本来の思考、智慧が大切であると。
その為に、言葉を排除した瞑想を行って、心理を追求したのです。
まあ、われわれ凡人はそこまで出来ないので、少なくとも
人から言われた言葉に、支配されないようにしましょう。
ところで、冒頭の नमस्ते は 「ナマステー」
サンスクリット語の挨拶の言葉です。
「こんにちは」と「サヨナラ」両方使えます。
では、ナマステー。