2014年03月08日

人は見かけで決まる?

昨日、テレビを観ていて驚きました。

少し前に、ゴーストライターがいて、耳が聞こえない
という嘘をついていた有名な作曲家のニュースが
ありましたが、その本人が記者会見をしていました。

イヤー、びっくりしました。ご本人は髪を切って
髭を剃って、サングラスをはずして会見をしていましたが、
以前の顔(テレビや雑誌で見た顔ですが)
と様変わりです。

芸術家っぽい顔だったのが、ただのオジサンになっていました。
まあ、ご本人は印象をよくしようと思ったのでしょう。

メラビアンの法則というのがあります。
人が他人から与えられる影響が、言語によるものが7%、
聴覚が38%視覚が55%であるというものです。

その人の話す言葉より、見た目が半分以上大切ですよ、
と言う事です。
メラビアンの法則は、自己啓発系や面接系、
コミュニケーション系の本や、サイトや、セミナーなどで
よく引用されています。
「人は見かけで決まる」、「人に好かれる方法」
みたいな感じの本やセミナーをよく見かけますね。

でも、これ日本において間違って理解されています。
だって言葉によるものが7%っておかしいと思いませんか?
おかしいですよね。
この、おかしいと思う感性、大切にしましょう。
人間は〇〇の法則のように法則がつくと信じてしまいがちです。
法則がつくとそれだけで正しい事のように思ってしまうのですね。

この法則でアルバート・メラビアンが言っている前提が違うのです。
人が相手に対して、話と、声の調子、表情などに矛盾がある時、
7%、38%、55%の割合でその人の真意を探る、 
と言う事です。

たとえば、悲しそうな顔をした人が、
「いや、ぼく悲しくなんかありません、
今ものすごく楽しいです。ルンルン。」
と暗い声で言ったとすると、ほとんどの人は、
この人の言う事よりも見た目で判断しますよね。
当たり前だよね。

これは、人間は相手の言ってる内容と、声の調子、
表情を一体のものとして情報を得るのですが、
情報に矛盾があった場合に、表情を最優先すると
言う事です。
おそらく、人間が言語を獲得する以前には
相手の表情や声のトーンで情報を伝えたり受け取ったり
していたので、情報が矛盾した場合の判断として
原点に戻って表情を最優先するのでしょう。
(竹中直人の笑いながら怒る人のギャグを思い出します)

確かに、言葉のわからない外国へ行っても、
表情や身振り手振りでなんとか意思は通じるといいますし
言葉は嘘をつくけど、表情は嘘をつきにくいので、
表情はたしかに大切です。

しかし、話す内容も同様に大切です。
表情はおおざっぱな事しか伝える事は出来ませんが、
言葉はもっと繊細な事を伝える事が出来るからです。

昨日の嘘の作曲家の人の記者発表を聞いていても、
かれがいくら髪形や髭を剃って、神妙な顔をしていても、
話を聞くだけで、何か信用できない印象をうけてしまいます。

「人は見かけが大切」だと思って、面接で見掛けだけ良くしても
話す内容がレベルの低いものだったら、
間違いなく不合格になりますのでご注意ください。

話の内容、表情、声の調子それぞれ矛盾なく
自然に相手と対応する。これが印象をよくする秘訣です。
まあ、当たり前の話ですけど。

で、この嘘の作曲家さんですが、もし私がアドバイスするとしたら
坊主頭にして、とにかく謝る。平身低頭、全て自分が悪いのですと、
涙ながらに謝りまくる事を進めます。
日本人は、情緒的な民族ですし、同情的です。
「これだけ謝ってるんだ、許してやろうじゃないか、
ねえ八つあん、熊さん。」
「御隠居、その通りだ。奴も本当はまっとうな人間なんですよ。
あんまり責めちゃかわいそうだ。」

と言う事で、みなさま謝る時は日本伝統の
「坊主頭」でお願いします。これを「坊主頭の法則」と名付けました。

だめかな。

ラベル:竹中直人
posted by 小太郎 at 10:25| Comment(0) | 言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月04日

早口言葉

早口言葉を僕はお風呂の中で毎日練習しています。
人とのコミュニケーションを円滑にするために、自分の言葉をハッキリ確実に
伝えたいからです。
自分の思っている事を言葉で伝えるのは難しいのですが
少なくとも発音だけは明瞭にしたいと思っています。

と、偉そうなことを言っていますが滑舌が悪いので治そうと思っただけです。
それに、ボケ防止にもいいらしいし。最近物忘れが多くて。
(ビールの飲み過ぎって説もありますけど。)

お風呂の中で練習しているのは、人に聞かれると変に思われるからです。
一回電車の中で、もちろん小さな声でですが、
「タケヤブニタケタテケタノハタケ 痛っ!(舌かんじゃった)」
とやっていたら、 「この人危ないひとかも」 みたいな感じでじろじろ見られた事が 
あります。それ以来お風呂で練習する事にしました。
でもお風呂で調子に乗って大声でやると、隣の家に聞こえたりするので注意が必要です。

時々滑舌の悪い人や、声の小さい人がいて何を言っているかわからない事がありますよね。
それで聞き返すと中にイライラしたり、怒ったりする人がいます。
結構偉い人に多かったりしますね。聞き返して怒られるのはたまらないので、
取りあえず解ったふりをしたみたいな経験ないですか?
私の父は晩年耳が悪かったので、よく聞き返していたのですがそれでずいぶん
嫌な思いをしたと言っていたのを思い出します。

何で聞き返しただけで怒るのかというと、自分が言った事をちゃんと聞いてもらえなかった
ことに怒るのだと思います。
 「オレが話しているのに、ちゃんと聞いてなかったのかよ!」 そんな感じでしょう。
自分の話し方が聞き取りにくかったとは思わないで、一方的に相手が悪いと決め付ける、 
自己中心的な人なのかなと思ってしまいます。

でも怒りの根底にあるのは、生存に対する恐怖です。人間という弱い動物が
生き延びてきたのは人間同士密なコミュニケーションを取ることが
出来たからです。
だから自分の言っている事が理解されないという事は、実は大変なことなのです。
危険な情報をお互いに伝えあう。獲物のありかを伝えあう。怪我をした助けてくれ! 
人間はお互いに情報をやり取りすることで生き延びて来たのです。
自分の言うことを聞き返されるという事は円滑なコミュニケーションが出来ていない
という恐怖なのです。その恐怖が怒りと言う形で表れるのです。

聞き返してくるくらいならまだ良いのですが、聞き返しても来ない、何の反応も無い、
いわゆる無視される場合は、もっと最悪です。怒りも出てきません、ひたすら恐怖を
感じるだけです。無言電話が怖いのは無言だからです。

群れでしか生きられない人間にとって、みんなに無視される事は死を意味しました。
昔の日本では集落内での一番の刑罰は村と言う集団から外される「村八分」でした。
いまでも、学校の教室で一人を全員で無視する「いじめ」があります。
無視された生徒は、自殺をしてしまう事もあります。
それほど、コミュニケーションを断絶されることは人間にとって恐怖なのです。

でも、何言っているか分からない人に対して聞き返すのは、特にその人が上司だったり
すると嫌ですよね。
まあ、でもここは勇気をもって聞き返しましょう。

僕もよく聞き返す事があります、でも不思議な事に「ビール」とか「一杯」
とか「焼き鳥」とか「えだまめ」とか言う言葉は聞き逃さないのですが、
これはなぜでしょう。

posted by 小太郎 at 08:14| Comment(0) | 言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月02日

彼女へのメール

前号よりの続き。
    ↑
こういうのよく昔の雑誌とかにありましたね。
連載小説ではかならずこの形式になります。
・ ・・次号へ続く・・・となると何となくわくわくしますよね。
というわけで、今日は昨日の続きです⇒気象予報士の予報

「言葉は真実を伝えない」
と思っています。簡単に言うと昨日の「台風一家」「ハロー注意報」です。
まあ、これくらいだったら勘違いですみますが、文章の解釈の仕方などで
伝えようとしていることが間違って伝わる事が良くあります。
こういう経験はメールなどでよくあると思います。
誤解されるケースは感情表現ですね。感情のあり方は人それぞれ
違うので気をつけなければいけません。
仕事のメールは感情が入らないのであまり問題はありませんが、
たとえば彼女へメールするときなど要注意です。

そもそも言語は記号に過ぎません。何の記号かというと、僕の説では人間の記憶を
記号化したものだと思っています。
この「記憶の記号化」によって、思考がとても楽になります。
たとえば、「火」ということを考える場合、言語という記号が無ければ、頭の中では
熱くて、赤い色がついていて、ゆらゆらしていて、水をかければ消えて。。。。。
などを思い出さなければならないわけです。
また、この場合も、赤い色、ゆらゆら、ゆれて、水、かける、消えてという言葉も記号なので、
それぞれの経験した状態を思い出しながら、「火」を考えなければならないので
とても効率的ではありません。

火に関するそれらの定義を「火」という言葉に記号化してしまえば、簡単です。
「こういうよくわからない熱くてゆらゆらしている物を火ということにしようね。」
と言う感じです。
この物や状態などを記号化することによって、複雑な思考が可能になったのです。
人間はこの記号を手に入れたので、思考する動物として、動物界の頂点に君臨
できたわけです。
でも、この言語記号が問題なのです。火を「火」という記号にしてしまったために
思考のスピードは各段に速くなったのですが、記号の「火」が一人で歩き出して
しまったのです。
火に付随している色々な事柄、暖かくて、熱くて、食事を作れるし、焼き芋美味しいぞ、
キャンプファイヤーは楽しかったし、火事で怖かった思い出もそれぞれあるでしょう。
人それぞれに火にたいしてはいろんな思いがあります。
それを単に「火」にしてしまうのです。
そうして火は「火」として認識されるのです。

このように言葉は自分の思いをすべて伝えることが出来ないのですね。だから
言葉に頼ってはいけないし、伝えるときは、相手の受け取り方も十分考えつつ
言葉を選ばなくてはいけないのです。
とくにメールは相手と直接対面していないので、危険です。文章だけで自分の意志を
伝えなければならないのですから。

なんだか面倒ですね。
でも、メールで彼女に嫌われないようにするには、これくらいしないとね。
昔からラブレターを書くと文章がうまくなるといわれています。
ラブレターを書く相手がいない人はどうするのかって?
これから街に出て行って彼女を作りましょう。
書を捨てよ、街に出よう! 
何を言っているのかよくわからないうちに、今日は終わるのであります。
ラベル:言葉
posted by 小太郎 at 12:14| Comment(0) | 言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする